セックス貧乏性
セックス貧乏性とは?
こんばんは!グレイです。
この言葉を聞いたのは自分が高校生か大学生のころだったと思いますが、あまりにも的を得た表現だったので未だに覚えています。
ビートたけしさんと明石家さんまさんでゲストを迎えてお酒をかわしながらトークする『有名人が集まる店』で、明石家さんまさんが放った言葉でした。
彼女と別れるために札束でビンタするとか、そんな強烈な話がされているときに、さんまさんは「男はみんなセックス貧乏性」という言葉に納得したものでした。
最後の最後まで…
彼女と別れても、最後の1回がどこまでできるかにこだわるのが男なんです。
セックス貧乏性なんです。
私は毎日でもセックスしたいっていう男ですから、妻とのセックスは最高の至福で、最高潮に達しようとするかしまいか悩むわけです。
何を悩むかと言うと、ここで最高潮に達したらそのまま服を着てお互い寝て終わってしまうから、最高潮に達するまでの間の時間をできるかぎり延ばしたいって思うんです。
イキたい!でもイキたくない…、イキたい!でもイキたくない…、がしばしば続くことになります。
子どもが産まれる前後で状況が違う
当然ながら子どもがいない時のセックスと子どもが産まれてからのセックスでは状況が全然違います。
産後のセックスに関して女性目線の話は妻ののんの記事でご確認いただければと思いますが、男としては子どもが産まれなくても産まれても、一女性として見ているわけですから、ある程度子育てに落ち着きが出れば妊娠以前のように盛り上がりたいわけです。
でも、妻はそれまでと格段に気持ちが下がっているので、まずはその点が変わってくることともう一つは子どもが隣に寝ているという点です。
物心がつかないまでで隣で寝ているとします。
子どもが寝ている隙にと思ってセックスするのですが、、突然ムクッと起き上がっても裸のまま「はい、寝ようね」で済ませて再び行為に及ぶことができますが、ある程度の年齢に達するとそれが難しくなってきます。
裸のまま寝るなんてそれこそできませんから、セックスが終わった後に裸でイチャイチャもできませんし、さっさと服を着て終わるので、なんか淡々とした作業のように感じて寂しいわけですよ。
だから、最高潮に達した後のことをどうしても考えてしまって、あと少しもう少しと延ばしてしまうんです。
セックス貧乏性です。
人生いつまでセックスできるかまで考えています…
頭の中は本当にセックスだらけと言われても決して否定できません。
あと何年まで夫婦でやり続けることができるかな~って思いますからね。
自分の人生を仮に80年としても、その年までやりたいと思っているかとか、元気にやれる年齢はいつまでかとか考えていると、だんだん二人でセックスできる期間って短いって思いませんか?これって自分にとっては結構深刻ですよ!
お互い気が付いたらセックスできる年齢ではなくなっていた、とかこんな悲しい話ないでしょ。
ちゃっかりと生理期間を含めて、週1~2回できると仮定しても月6回しかセックスできなくて、それが1年となると約70回。
お互いまだセックスしてもいいなと思える年齢がどこまでかは分かりませんが、これもあと20年としてみると、1年70回の20年分の最大1400回セックスして人生終わってしまうんですよ。
これが多いって思っていたら大間違いなわけで、年齢を重ねるごとにこの回数が減ることの方が圧倒的に多いわけですし、もしかしたら10年しかもたないかもしれないとなると、最大値はもっともっと減るわけです。こんな悲しいことってあります?
というところまで考えてしまうので、一回一回のセックスも大事にしたいわけなんです。
セックス貧乏性です。
まとめ
ここまで数値的に計算して、人生であと何回セックスできるかなんて考えている人いますかね?
でも、数値で見たら「確かに」って思いません?
出来るときにしないと後悔しそうですが、そんな風に考えている人はやはり稀なんでしょうか?